156. 翌日、例の研究者達からの手紙を読み返した。 一つ一つ吟味して、ペンを取り、便箋に返事を書いていく。 ――カチャッ……。 途中、誰かが部屋の扉を開けたので、俺は「ん?」と振り返った。 「お兄様……お兄様も勉強中?」ティアがやや決まり悪げに訊いてくる。 「いや、手は空いてるよ。 ティアこそ勉強の方はイイのか??」 「あのね、ミザリー先生にね、お花の飾り方習ったの。とっても良く出来たと思ったのに、先生、昼には枯れるお花が在るから駄目だって……」言いながら、ティアが泣きそうな顔で俯く。 「……花、ねぇ……」別に興味在るってモノでもないが。 「その飾ったの、まだ在るか? それとももう崩したか?」 「まだ……だけど、先生が枯れるっていうお花取っちゃった。とっても綺麗だったのに……」 「嗚呼、泣くなよ。その花もう、捨てられちまったのか?」 「分からない……」 俺はインク壺に蓋をして、椅子を立ちティアの方に近付いた。 「じゃあ、見に行ってみようか。案内してくれるか?」 「……うん」 部屋を出て廊下を歩いていく。 ティアの部屋は、母さんの部屋の隣に在る――二つして、中庭へスグ行けるように成っている。 其処は母さんが花を植えて世話している処で、島にある花は、取り敢えず全種類揃っていた。 全種と言っても人工島だからまぁ数えるぐらいしか無いんだが、それでも、屋敷の自慢の一つである――やってくる客は、たいがい其処へ通すという小さな名所だ。 ティア自身お気に入りの遊び場であり、ミザリーの教えた花の飾り方とやらも、其処の花を使ったのだろう。 ミザリーはティア専用に、グランコクマから来ている女家庭教師の一人だった。主に礼儀作法を教えていて、堅物だが、しかしそれなりに『芸術』を理解していると言う。屋敷の調度品について何時の間にか俺より父さんより詳しくなってたし、自宅の部屋には母さんに頼んで貰った花を、花瓶に活け飾っているという話である。 今回も、ティアの事についてだろうか中庭で母さんと話してた――花を飾る事自体は、聞く限り彼女の教育項目に無い。けれどそういう事に授業を変更するという、融通さも持ち合わせていた訳だ…………ティアは小さい頃から母さんと花に親しんできたから、今更『飾る』技術を習うような必要も無いし。 「嗚呼、ルーク。それにティアも」 「ティア様!」 母さんとミザリーが俺達に気付く。 「朝咲きの花が在るんだって?」 「……ええ。彼処に」「あっ!」 母さんが示した花壇の中に、生えているにしては不自然な、それでも気付かなければ周囲と調和した一輪が混ざっている。 「奥様がお飾りになられたのです」 「私の居ない間に……」 ずるい、と言わんばかりにティアが泣きそうな顔をする。 花を取り上げられた事も嫌だったが、ソレを自分の居ない処で活用される事も嫌だった訳だ――あるいは、飾るという楽しみ自体を自分そっちのけでやられたのが悔しいのか。 「ハッハ! すねるなすねるな」俺はおかしくなって妹の頭を軽く叩きながら笑った。 「ティア。イフェンス先生の来る前に、お部屋のお花も綺麗にしましょ」母さんが動く。 「あっ、うん」トコトコと、ティアが我に返ってついていく。 「……やれやれ」俺は肩をすくめて呆れた。 何しに人連れてきたんだっつーの。 「ふふ……」ミザリー婦人が笑ったのを聞いて、つい、其方の方を向く。 白髪交じりの、初老の女だ。地味だが上等品のドレスを着ていて、髪形もピッシリ上にまとめて、いかにもインテリ、って感じの貴族女なんだが……いや、だったんだが……。 「本当に、仲睦まじい親子でございますね」「そうか? ガキと母親だなんてあんなモンだろ」 「ですが、グランコクマの貴族で見掛けた事は在りません。色々なお宅へ出向いておりましたが……、母親は家の事ばかり、子供の事は乳母や教育係に任せっ放しというのが実情ですわ」 「まぁ、家事を切り盛りしなくちゃいけないって言うのは普通だし。ウチでも総給仕長みたいなモンだぜ? 母さんは……。体が弱いから実際の仕事の大半を、召使いにさせてるって言うだけで」 (後は、土地別の財布の事情差だろう。ホドに比べるとグランコクマは地価や住宅税が高いから、その分召使いが雇えずに、母親が忙しくなってしまう訳だ) 「ええ、屋敷の者達全員に、目を配り、分け隔てなく接し、そして好かれている……。普通なら一番下の下女の名前などは覚えないと言うのに。――しかも、この屋敷で働く人間の殆どは、レプリカだというオマケ付きですわ」 「そりゃ、ホドは殆どレプリカ達の国、ってイイような処だし。母さん自身、半分レプリカなんだから。別におかしいトコ……」 「ですが、そのような生まれでも貴族として育てられれば奢りは出てくるものですわ。そういう方を、ずいぶん見ました……。見目が良い為に気に入られ、貴族としての教育を受け、子を成し、ソレを被験者の貴族の婦人同様、人任せに育てさせて、その頃には、自分がレプリカである事など忘れたかのように、豪尊に振る舞い、他のレプリカ達を見下し、そして被験者の下女や下男、庶民達も見下している……そういう変わり果ててしまったレプリカの淑女達を」 「……いや、母上は一応 庶民の出身だし……」 「それでも。変わる女は変わっていってしまうものなのですわ。ですが奥様は――変わらず。この屋敷の方は勿論、市井の者達にまで、とても好かれている……。――旦那様も。御両親方や、お子様方達も……」 いやいやいやっ!? ウチ領主だしっ?? フッツゥ――に考えて、国民達が問題の無く暮らせるよーにするのは、ソレはごく当然の仕事だろーが。 反感持たれる行動やってどうするよ。 「…………ウチの家って変、って言う事か……??」 「いえ。寂しいのです」ミザリーは何処からか白いハンカチーフを出し、目許を拭って、言った。 「……もうすぐ、この屋敷や皆様達とお別れするかと思うと……、辛くて」 「――嗚呼。そう言えばもう二年に成るのか」 頭の中での勘違ってた思考を捨て、俺は何食わぬ顔(をしている振り)で会話を続ける―― この女は、ティアが六歳になった事を機に屋敷に招かれるようになった。もうすぐ彼女の誕生日だ。 人間『誕生日』って言うのは、何かしら物事を始めたり終わらせたりっていう区切りにしている事が多いからな。 ――そっか、ティアの奴 もうすぐ八歳だっけ…………。 「……はい。賢い方ですので、わたくしに教えられる事はもう殆ど在りませんわ」 「そうか」 『俺』と違って、ティアもガイルも真面目で出来のイイ連中だからな……。まぁガイルは勉強 俺並に嫌っていた節は在るが。 (でも、俺がソディオから戻ってきた話をした後から、身を入れて机に向かうようになったって聞いてる。 ……少し、領主の子供としての自覚が出てきているみたいだ、ってみんなが) 親父の言っていた大人びた、落ち着いたってのはそういう事か?? 「…………」 俺は部屋に戻り、インク壺の蓋を開けて『返事』の続きを書き始めた。 ――終わった処で、ヒュードに手渡し 再び部屋で荷造りを始める。 |