家系図D 鎌倉時代 ※1156年 保元の乱、崇徳上皇vs後白河。
1159年 平治の乱、源義朝vs平清盛
各地この辺。 鎌倉府・扇谷は東方、現在の神奈川県の横浜に当たる。 豊後國:大野郡は現在の豊後大野市とその周辺だが、直入郡は直入町大字神堤を除く竹田市の大部分、他。 前千町後千町(後ろ干町前千町)はのちの千町無田らしい。 黒木御所の朝日長者伝説(1300年前、欽明天皇の時代の郷司・浅井長治。豊後風土記など)で知られる、大分県西部の玖珠郡九重町田野の飯田高原にある湖跡平地。 (ネット調べ) 20年前の地図だと直入の東10km程度の処に大野、其処から10km南に緒方、 其処から約20km南西に在るのが祖母山で、その南15kmぐらいに在るのが高千穂である。 佐伯は緒方から東へ約40kmの海岸そば。 氣乃邑(庄)と府内は未確認、でも大野郡なんだから其の辺り。 百連も未確認だが臼杵は佐伯の北20kmぐらい、大野から東北東へ30kmぐらいの海岸そば。 (前ページの通り、他にも高千穂を含んだ同名郡が今の宮崎県に在ったらしい) 河西郷は『市史』通二p.467では田島など宗像社の南方と書いてあり、次ページの福満庄河西郷と同一なら、p.466〜の西郷川下流の福満庄→「粕屋郡西郷福万庄」、宗像西郷に含まれる。 (南方って言えば南方だけど、田島からは離れ過ぎてる。「西郷川下流」は5kmぐらい南東だし、今「粕屋」の名前を持つ土地は、其処から10kmぐらい南になる) p.580、宗像西郷飯盛山城主は河津氏。 尤も地元人間としては、(旧)福間町上西郷の名前が先に出て来るんだが。同名地域でも在るのかな…… Wiki(宗像郡・明治初年)に無い村、宗上村は前後の地名から、普通に八並村の北だと分かる。 楢木村は『市史』通二p.820、慶長10年(1605年)頃の内殿村。正確には、その枝村であったらしい(by福間町史p.321)
表記注:旧字や確信の持てない字・訳
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