----春利…宗形君 大領。敏達天皇の二年癸巳の冬十二月に卒す
※572年、敏達天皇即位。敏達2年=574年頃
----高丸…宗形君 大領。推古天皇の元年癸丑の夏五月に卒す
※593年≒推古天皇1年頃、聖徳太子が彼女の摂政となる。
604年 十七条の憲法。この頃に初めて暦を使う(ワイド版歴史資料集p.24)
607年 遣隋使・小野妹子。630年に第一回遣唐使
----徳善…宗形大領。皇極天皇の即位して二年癸卯の二月に卒す
御塚者當郡の奴山郷の生家ニ在り
娘共々、『日本書紀』十巻に名前だけ出てくる。→『宗像市史』『むなかたさま』。婿と孫もの四人セットで
高丸あるいは元麿の子、親戚に(宗形)鳥麿が居る……等の史料が在る(ネット調べ)
Wujuでは息子に赤胡、娘に尼子娘。宗像郡大領と伝える(史料も在る)。
※642年、皇極天皇即位。645年に退位
※645年 大化の改新:国郡制が敷かれ、宗像氏は宗像神郡の大領と宗像大社の神主を兼任し、
神郡の行政を司った。また遠賀郡などの郡司も兼ねる。(Wiki)
※649年=大化5年 宗像が神郡に定められる(むなかたさまp.164)
※655年=斉明元年、胸形君徳善の女・尼子娘が(のちの)天武天皇に召されて高市皇子を生む
※663年=天智2年 唐・新羅が百済を攻め、白村江の戦いで百済と日本軍が破れる。
665年、大宰府ほかに山城を築く(資料集p.28)
※667年=天智6年 近江大津宮にて、中大兄皇子が天智天皇に即位。(資料集p.29では668年)
671年、天智天皇崩御。672年=弘文1年、壬申の乱が起こる。673年、天武天皇即位
※684年=天武13年、胸方君朝臣の姓を賜う。(史料編に拠れば十一月一日)
※690年=持統4年、高市皇子が太政大臣になる。(Wiki:宗像氏)
※690年=持統4年、七月六日 大宰・国司を遷任する(宗像市史 史料編 第一巻)
※690年=持統10年、高市皇子死去(宗像市史 通史編 第一巻。第二巻p.82によると43歳)
※698年=文武2年、三月九日 筑前国宗形郡の郡司は三等已上の親の連任を聴される
701年=大宝元年、大宰府は筑前国の国司の任を兼ねる。
702年、三月三十日 大宰府が所部の国の掾以下と郡司らを銓疑することを聴する
四月十五日 筑紫七国及び越後国から采女・兵衛を選び奉らせる
709年=和銅2年 五月五日 宗形郡大領の外従五位以下宗形朝臣等抒に外従五位上を授ける
711年、閏六月二十一日 宗形部加麻麻伎に穴太連の姓を賜う
713年、五月二日 諸国に風土記の撰進を命じる
721年=養老五年 正月二十七日 解工の正七以下胸形朝臣赤麻呂に■十疋等を賜う
723年、十一月十六日 筑前国宗形郡等八神郡の郡司は三等以上の親の連任を聴す
729年=神亀6年→天平元年 四月五日 宗形郡大領の外従七位上宗形朝臣鳥麻呂に外従五位下を授ける
738年、二月十九日 筑紫宗形神主の外従五位下宗形朝臣鳥麻呂に外従五位上を授ける
740年 十一月二十一日 外従五位下宗形朝臣赤麻呂に外従五位上を授ける
745年、正月七日 外従五位上宗形朝臣赤麻呂に外正五位上を授ける
六月十四日 筑前国宗形郡大領の外従六位上宗形朝臣与呂志に外従五位下を授ける
--┬烏丸…外正六位上大領 宗像朝臣。文武天皇の大宝二年、寅の十月に卒す
│ 御塚は奴山郷の生家ニアリ
│ 宗像大社の神主として、記録に在る名前は鳥麿(Wiki)
│
├女子…庄子郎女。天武天皇の女御 高市皇子の御母
│ 尼子娘。大海人皇子(=天武)の嬪。
│
│ --高市皇子…大和國城上郡 宗像神社
│ 被補社務矣。類聚三代格 曰く、高市皇子は大政官の事、能く知られる
│ 『むなかたさま』p.35〜、74。p.138の(下山鎮座の)神社。
│ あと『宗像市史』通史編 第二巻p.55〜他、父親の事も合わせて詳長。
│ Wikiに在る資料は『延喜式神名帳』『日本三代実録』『類聚三代格』など。
│
└加麻々伎…足白山 社務
天武天皇から姓・穴太連を賜りしは加麻々伎の連
足白山 今ノ孔大寺山ノ社務タリ、禾女ハ續日本紀の巻ノ五ニ出タリ
『宗像市史』史料編p.32、通史編第二巻p.104、←『続日本紀』卷第五。
--加津…足白山 社務 穴太連
※大宝2年=702年:飛鳥時代
縫殿神社と孔大寺神社は、宗像大社の摂社として『週刊日本の神社12宗像大社』で紹介されている。
『宗像市史』通二p.471〜、584〜にも少し。
※天武天皇は『古事記』と『日本書紀』の編纂を命じた人物で、
その編纂事業の為に作られたらしいのが各地の『風土記』(715〜733年)。
『古事記』の完成が712年、『書紀』が720年と、どちらも天武の死後である。
大海人皇子は大海命のモデルとなった可能性が在るが、この人は宗形君の娘を妻にしたのであって、逆ではない。
※鳥麻呂と赤麻呂(『宗像市史』史料編第一巻p.40〜46、通史編第二巻p106、114、143):
鳥麻呂=鳥丸の場合、死後20年以上経って位が上げられた事になる。
赤麻呂(赤胡?)≠鳥麻呂の場合、水沼君(か穴太連)の可能性も。
後で出てくるが、他の国・郡の郡司でも、「宗像朝臣」に成れたらしい。なので等抒や与呂志なども。
※解工とは土木工事の技術者らしい。
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